亀岡文殊の歴史
当山は松髙山大聖寺(俗に亀岡文殊と云う)と称し、真言宗智山派に属します。
境内約2万坪と境内続きの山林60余町歩を有し、今より約1200余年前に創立せられた東北地方稀有の名刹です。
本尊の文殊菩薩は人皇28代宣化天皇の2年(約1480余年前)、震旦国(中国)五台山より伝来、伊勢国神路山に安置されていました。
この文殊菩薩を第51代平城天皇の大同2年(約1200余年前)に徳一上人(奈良東大寺住持)が勅命でここにお移しなされたものです。
爾来、日本三文殊の随一[日本三文殊とは、出羽の亀岡、大和の安倍(奈良県桜井市)、丹後の切戸(京都府宮津市)]として、また中納言格として待遇せられ、畏くも勅願所として皇室の崇敬厚く、玉体安全、国家安穏の御加持を命ぜられています。
明治14年10月2日明治天皇東北御巡幸の際は、有栖川宮殿下を御差遺遊ばされ、また孝明天皇と明治天皇から御下賜されたお撫物は現に奉置されており、徳川幕府よりも年々御朱印百石ずつを賜りました。
なお、当山の文殊尊は昔から知恵の文殊、または生き文殊と称し、私共に「幸福と知恵をお授けくださること」を本願としております。数百年の昔から3年お参りすれば必ず良い知恵を授かり、子供が良く育ち、子孫に良い者が生まれ、身体堅固、厄払い、家内安全、商売繁盛及び交通安全が達せられると伝えられております。殊に試験などの合格と学徳成就の守護仏として本県隅々、東北各地は勿論のこと、遠くは関東、関西、北海道からいつも祈願者が絶えないのです。
境内約2万坪と境内続きの山林60余町歩を有し、今より約1200余年前に創立せられた東北地方稀有の名刹です。
本尊の文殊菩薩は人皇28代宣化天皇の2年(約1480余年前)、震旦国(中国)五台山より伝来、伊勢国神路山に安置されていました。
この文殊菩薩を第51代平城天皇の大同2年(約1200余年前)に徳一上人(奈良東大寺住持)が勅命でここにお移しなされたものです。
爾来、日本三文殊の随一[日本三文殊とは、出羽の亀岡、大和の安倍(奈良県桜井市)、丹後の切戸(京都府宮津市)]として、また中納言格として待遇せられ、畏くも勅願所として皇室の崇敬厚く、玉体安全、国家安穏の御加持を命ぜられています。
明治14年10月2日明治天皇東北御巡幸の際は、有栖川宮殿下を御差遺遊ばされ、また孝明天皇と明治天皇から御下賜されたお撫物は現に奉置されており、徳川幕府よりも年々御朱印百石ずつを賜りました。
なお、当山の文殊尊は昔から知恵の文殊、または生き文殊と称し、私共に「幸福と知恵をお授けくださること」を本願としております。数百年の昔から3年お参りすれば必ず良い知恵を授かり、子供が良く育ち、子孫に良い者が生まれ、身体堅固、厄払い、家内安全、商売繁盛及び交通安全が達せられると伝えられております。殊に試験などの合格と学徳成就の守護仏として本県隅々、東北各地は勿論のこと、遠くは関東、関西、北海道からいつも祈願者が絶えないのです。
当山は松髙山大聖寺(俗に亀岡文殊と云う)と称し、真言宗智山派に属します。
境内約2万坪と境内続きの山林60余町歩を有し、今より約1200余年前に創立せられた東北地方稀有の名刹です。
本尊の文殊菩薩は人皇28代宣化天皇の2年(約1480余年前)、震旦国(中国)五台山より伝来、伊勢国神路山に安置されていました。
この文殊菩薩を第51代平城天皇の大同2年(約1200余年前)に徳一上人(奈良東大寺住持)が勅命でここにお移しなされたものです。
爾来、日本三文殊の随一[日本三文殊とは、出羽の亀岡、大和の安倍(奈良県桜井市)、丹後の切戸(京都府宮津市)]として、また中納言格として待遇せられ、畏くも勅願所として皇室の崇敬厚く、玉体安全、国家安穏の御加持を命ぜられています。
明治14年10月2日明治天皇東北御巡幸の際は、有栖川宮殿下を御差遺遊ばされ、また孝明天皇と明治天皇から御下賜されたお撫物は現に奉置されており、徳川幕府よりも年々御朱印百石ずつを賜りました。
なお、当山の文殊尊は昔から知恵の文殊、または生き文殊と称し、私共に「幸福と知恵をお授けくださること」を本願としております。数百年の昔から3年お参りすれば必ず良い知恵を授かり、子供が良く育ち、子孫に良い者が生まれ、身体堅固、厄払い、家内安全、商売繁盛及び交通安全が達せられると伝えられております。殊に試験などの合格と学徳成就の守護仏として本県隅々、東北各地は勿論のこと、遠くは関東、関西、北海道からいつも祈願者が絶えないのです。
境内約2万坪と境内続きの山林60余町歩を有し、今より約1200余年前に創立せられた東北地方稀有の名刹です。
本尊の文殊菩薩は人皇28代宣化天皇の2年(約1480余年前)、震旦国(中国)五台山より伝来、伊勢国神路山に安置されていました。
この文殊菩薩を第51代平城天皇の大同2年(約1200余年前)に徳一上人(奈良東大寺住持)が勅命でここにお移しなされたものです。
爾来、日本三文殊の随一[日本三文殊とは、出羽の亀岡、大和の安倍(奈良県桜井市)、丹後の切戸(京都府宮津市)]として、また中納言格として待遇せられ、畏くも勅願所として皇室の崇敬厚く、玉体安全、国家安穏の御加持を命ぜられています。
明治14年10月2日明治天皇東北御巡幸の際は、有栖川宮殿下を御差遺遊ばされ、また孝明天皇と明治天皇から御下賜されたお撫物は現に奉置されており、徳川幕府よりも年々御朱印百石ずつを賜りました。
なお、当山の文殊尊は昔から知恵の文殊、または生き文殊と称し、私共に「幸福と知恵をお授けくださること」を本願としております。数百年の昔から3年お参りすれば必ず良い知恵を授かり、子供が良く育ち、子孫に良い者が生まれ、身体堅固、厄払い、家内安全、商売繁盛及び交通安全が達せられると伝えられております。殊に試験などの合格と学徳成就の守護仏として本県隅々、東北各地は勿論のこと、遠くは関東、関西、北海道からいつも祈願者が絶えないのです。